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数息観とは

数息観と言うのは、坐禅を組んで静かに自分の域を数える修行の方法で、乱れている心を沈め、三昧のチカラを養います。数息観は、一見簡単なように見えますが、実は容易なものではありません。「数息観は坐禅のもっとも初歩であるが、またもっとも究極である」と言われる所以です。

(数息観の仕方) 自分の自然な呼吸を心の中で数えます。始めの域を静かにすいながら「いー」と、その域をそのまま受けて吐きながら「―ち」と数えます、つまり、一呼吸(吸う息と吐く息)で「いーち」です。次の吸う息と吐く息をもって「にーい」と数え、次の呼吸を「さーん」と数えてゆきます。そして、百まで数えます。

百まで数えたら、なた「いーち」に戻って繰り返し行います。線香一本分の数は、個人差はあると思いますが、大体「三百から三百五十」くらいです。

数息観は以下の条件を守って行ってください。
1数を間違えない
2雑念を交えない
上記2点に反したら、「いーち」に戻って数えなおす
この条件を満たしていることが『数息観』なのです。
この条件を満たすように数を数えていくと、中々数え切れずに途中で嫌になるかもしれませんが、それが修行なのです。

(二念を継がず) 数息観を行う上でよく言われることに「二念を継がず」と言うコツがあります。この意味は雑念を相手にしないと言う事です。例えば、坐禅中に何かの物音がしたとします。坐禅していても音は聞こえます。その時、『今の音は何だろう?どこから聞こえてきたのだろう?』と雑念を起こさない、雑念を発展させないと言う事です。「聞こえたら、聞こえたまま」にして数息観を続けます。すると、その雑念は「スゥー」と立ち消えてゆきます。

数を数える以外の周りの出来事に思いを巡らす(二念を継ぐ)と、次、そしてまた次と、雑念が次々と起きてきます。そうなりそうな時には「深呼吸をやや深く、大きめに取りながら」数息観に没頭します。「ひたすら数を数えることを信じて疑わない」事が大切です。


(三昧) 三昧とは「心をいっさいに任せて、散乱させない」事です。心を「今当面しているひとつの事に集中させる」のです。この三昧を基礎から身につけるための方法が「数息観」なのです。嬉しいときには「嬉しい三昧」、悲しいときには「悲しい三昧」。

いつでもどこでも「三昧・三昧」の日常生活ができれば、人生、これほど快適なことはありません。学問でも仕事でも武道でも、三昧になれば効果はてきめんに表れてきます。