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ブログ - 日常の生活の場が道場、立教の主旨について⑰

日常の生活の場が道場、立教の主旨について⑰

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
nagoyazen 2019/8/7 16:33

日常の生活の場が道場、立教の主旨について⑰
 

合掌運動の内容について一言しておきたい。
もともと禅は、わが国の精神史・文化史の中で、剣術や茶の湯、書などの領域で技術の次元 更には芸術の次元をこえて、それらを道にまで高め、剣道・茶道・書道として広大幽遠な人間形成の道を拓いてきた。
 これらが特に「道」といわれるのは、その修行の錬磨を通じて、心の源底を尽くし如是法に体達して本有の明徳を徹見する見性悟道が果たされたからである。
 剣道や書道の中で見性ということがいわれ、また茶道の中でも、茶裡見性ということが云われてきたのは、その如実な証左ともいえる。
 人間の造作や有為をこえて不生不滅の如是法にふれ、正念相続の工夫が打出されるというものである。
 このような生活の種々の領域における人間形成の道の開拓は、僧堂の出家禅と異なって日常生活の中に修行の道場をもつ人間禅にとっては、格好の大法流通の道として合掌運動の実践の内容を示すものである。
  現代という時代が科学の時代といわれ、情報の時代、政治・経済の時代といわれるが、科学技術によって開発されて豊富な生活財や情報の洪水の中で、人々は、人間本来の人間形成の道を見失い、「人間はどうあるべきか?」「何を真の生きがいとすればよいのか?」について、道を明らめることができず、他人指向の技術のみが生活の目的となり、その裡に埋没している状況に堕しているといえる。
 合掌運動は、この状況の中で、人々の眼を脚下に向けさせ、生活の場の中に人間形成の道を恢復し、正しく・楽しく・仲のよい人間本来の信を蘇らせようとするのである。
 
(宣布すべしとする人間禅につづく)
 
11-2

彩鳳舞丹霄 (彩鳳(さいほう) 丹霄(たんしょう)に舞う)

 「彩鳳舞丹霄――彩鳳(さいほう) 丹霄(たんしょう)に舞う」という一行物は、めでたいものとしてよく年頭の茶会でお目にかかるものである。ちなみに鳳凰(ほうおう)は、霊獣麒麟(きりん)と併称される霊鳥で、「辞書」には、

聖王が世に出ると、これに応じて現われるという瑞鳥。梧桐(ごどう)()み竹の実

を食い醴泉(れいせん)を飲む。羽毛は五色の文彩があり、声は五音にあたる。鳥類の

首長で飛べば群鳥がこれに従う。その雄を鳳・雌を凰という。

と解説されている。ここで「彩鳳」とは五色の羽毛をもつ鳳・凰一双のことである。次に「丹霄」とはあかい空のことであるが、ここでは広く美しい大空を意味している。したがってこの句は「五色の翼をもつ鳳と凰との一双が、天下泰平・万民豊楽の聖代を祝って出現し、雲一つない天空に悠々と舞い遊んでいる」という意味である。「四海浪平らかにして龍の睡りおだやかに、九天雲静かにして鶴の飛ぶこと高し」と、ほぼ同じ意味で、万民・万物みなそのところをえている聖代を祝ったもので、仏教のいわゆる事々(じじ)無礙(むげ)法界(ほうかい)の消息をたたえた句である。

  

     (芳賀幸四郎著 新版一行物 ―禅語の茶掛― 上巻より) 
 
(
注解)

  『禅林句集』(柴山全慶編):美しい鳳が彩雲ただよう天に舞う、

何の瑞祥ぞ。
  霄(しょう):そら。あおぞら。
  梧桐(ごどう):アオギリの漢名。

  九天(きゅうてん):中国で、天を9方位に分かった称。

  五彩(ごさい):五色に同じ。五色はふつう赤・青・黄・白・黒をいう。

  醴泉(れいせん):あまいいずみ。味のよい泉。

  事々無礙法界(じじむげほうかい、仏教用語):この現実世界に起こる

     すべての物事は、何の障害もなく、何にもとらわれることもなく

完全に調和しているということ。

 

 
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