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ブログ - 光秀出自、諸説あり

光秀出自、諸説あり

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
nagoyazen 2018/7/21 16:34

明智光秀の出生地は現在
はっきりしていません。


「続群書類従」におさめられている「立入左京亮入道隆佐記」には、「美濃国住人とき(土岐)の随分衆也」とあり、この立入入道隆佐(宗継)は光秀と同時代の人物で、織田信長と朝廷の間を奔走した人物であり、光秀は土岐明智氏の相当高い地位の出身であると思われます。
光秀及び土岐明智氏について記す土岐氏関係の系図はすべて江戸時代のものであり、光秀の父親の名前すら曖昧(光国、光隆、光綱など)ですが、光秀が土岐明智氏の正嫡で、明智城の主ということはほぼ共通しています。
土岐明智氏の名字の地は可児郡明智(可児市)ですが、恵那郡にも明智という地名があります。ここは(明智城を築城した)遠山姓(遠山金四郎ー遠山のきんさんの系統)の明智氏が拠っていたので、土岐明智氏には関係ないと考えられます。
おそらく光秀は土岐郡明智荘(可児市)の明智城で生まれたと思われますが、石津郡多羅(大垣市上石津郡多良地区)生まれという記述もあり(「明智一族宮城家相伝系図書」。父は進止信周、母は光隆の妹)もあり(京都育ち?)、現在まで光秀の前半生についての確実な史料が無い以上、生誕地も特定はできないと思います。
群書類従・続群書類従
塙保己一(はなわほきいち、1746-1821)が重要かつ基本の資料を蒐集して編纂した叢書。『群書類従』の収録文献数は1,276点、『続群書類従』は2,128点にのぼる。少量で散逸しやすいものを中心に、古代から近世までのあらゆる貴重な文献を網羅し、法律・政治・経済・教育・道徳・宗教・社会・史学・文学・美術・音楽・言語・風俗・遊芸その他各分野にわたり、それらを分類収録。続群書類従完成会本『群書類従』は昭和9年(1934)に、同『続群書類従』は昭和47年(1972)に刊行完了。


岐阜洞戸坐禅道場IT担当

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